ページをめくるたびに刻まれていく、新しい物語。アイコニックなナイルブルーのボックスに収められたダイアリーやレターセット、上質なレザーグッズ —— そのひとつひとつが、書くこと、贈ること、暮らしを整えることのよろこびを思い出させてくれる。スマイソンとともにある日常は、どんな時間を静かに紡いでいるのだろうか。ゲストに迎えたのは、執筆、クリエイティブディレクション、映像とジャンルを横断して活動するエッセイストの松浦弥太郎さん。言葉とまっすぐ向き合ってきた編集者に、使い続ける理由を聞いた。
手しごとの道具を
長く、大切に使うこと。
愛用している山ぶどう蔓の籠から取り出したのは、使い込まれたノートブックやアドレス帳の数々。スマイソンとの付き合いは、もう何年にもなる。長く、大切に使うこと。
「イギリスの陶芸といった手工芸に興味を持ったのが、ちょうど1990年頃のことです。35歳でロンドンを訪れて、そうしたクラフトカルチャーを実際に体験したいと思い、シャツや傘、帽子などの身の回りのものを、その道の名店と知られる店でオーダーしました。そのひとつが、ボンドストリートにあるスマイソンのステーショナリーでした。英国には歴史あるものや、昔ながらの手しごとを大事にする文化がありますよね。スマイソンも職人が手をかけたものづくりをしていて、僕のなかでは憧れのブランドのひとつでした」
もう廃盤になってしまったモデルだが、小さなジョッターもそのときに手に入れたものだ。ジャケットのポケットに入れて持ち歩く、そんなイギリス紳士ならではの所作に憧れを抱いたのだという。
「ちょうどポケットに収まるサイズに作られているんですよね。そうした習慣も日本にはないものですてきだなと思いました。常に自分の手で書き留めて、記録する。そんなスタイルに当時の僕はなんだか惹かれたんです」
今でこそ、スケジュールは共有のためにデジタルで管理するようになったが、日々のことを記すのはスマイソンのノートだ。
「たとえば誰かが語ったすてきな話や、教えてもらったおいしいものなど、日常の些細な出来事もノートに書き留めています。やっぱり手を使って書いたものは、なんとなく覚えているんですよね。タイピングだとそうはいかない。記憶に残らないというのは、それだけで本当にもったいないことだと思います」
「ちょうどポケットに収まるサイズに作られているんですよね。そうした習慣も日本にはないものですてきだなと思いました。常に自分の手で書き留めて、記録する。そんなスタイルに当時の僕はなんだか惹かれたんです」
今でこそ、スケジュールは共有のためにデジタルで管理するようになったが、日々のことを記すのはスマイソンのノートだ。
「たとえば誰かが語ったすてきな話や、教えてもらったおいしいものなど、日常の些細な出来事もノートに書き留めています。やっぱり手を使って書いたものは、なんとなく覚えているんですよね。タイピングだとそうはいかない。記憶に残らないというのは、それだけで本当にもったいないことだと思います」
ビスポークの見本帳として手に入れたガイド本のタイトルにも掲げられた“Everyday Stationery”のメッセージ。それは「自分のために誂えた日用品を愛し、毎日使うという精神」だと松浦さん。
「直しながら大切に、長く使い続けられる。そうした姿勢に僕は誠実さを感じます。そして、自分の手でその良さを確かめたものは、誰かに贈りたくなるものですよね。自分が感動したのと同じように、相手にも感動してもらえたらうれしい。そんな思いから、これまでも何かのきっかけがあるたびにスマイソンのステーショナリーをプレゼントしてきました。自分の会社を創業したときにも、社名の“kihon”を刻印したノートをオーダーして、社員と身近な人たちに渡しました。その一冊を、今も大切に持っています(3つ下の写真、左のノート)」
「直しながら大切に、長く使い続けられる。そうした姿勢に僕は誠実さを感じます。そして、自分の手でその良さを確かめたものは、誰かに贈りたくなるものですよね。自分が感動したのと同じように、相手にも感動してもらえたらうれしい。そんな思いから、これまでも何かのきっかけがあるたびにスマイソンのステーショナリーをプレゼントしてきました。自分の会社を創業したときにも、社名の“kihon”を刻印したノートをオーダーして、社員と身近な人たちに渡しました。その一冊を、今も大切に持っています(3つ下の写真、左のノート)」
「尾崎さんはよく、『世の中にあるものは、本物と偽物、まがい物。この三つしかない』と語っていました。それを見極める目を持つことが大事なのだと」
今思えば何ものにも変えがたい経験だったが、若さゆえに反発して飛び出し、そのまま疎遠になってしまったのだという。そしてある日、松浦さんが『暮しの手帖』の仕事を始めた頃に一通の手紙が届く。見覚えのあるブルーの封筒と便箋、そして青い万年筆の筆跡。
「ひと目で尾崎さんだとわかりました。そこには『頑張ってください』と優しい言葉が綴られていて。それをきっかけに文通が始まりましたが、尾崎さんはいつも同じ封筒と便箋。特別な手紙には、必ずそのスマイソンでオーダーしたステーショナリーを選んでいたことを知っていたので、心の底から感激しました」
今思えば何ものにも変えがたい経験だったが、若さゆえに反発して飛び出し、そのまま疎遠になってしまったのだという。そしてある日、松浦さんが『暮しの手帖』の仕事を始めた頃に一通の手紙が届く。見覚えのあるブルーの封筒と便箋、そして青い万年筆の筆跡。
「ひと目で尾崎さんだとわかりました。そこには『頑張ってください』と優しい言葉が綴られていて。それをきっかけに文通が始まりましたが、尾崎さんはいつも同じ封筒と便箋。特別な手紙には、必ずそのスマイソンでオーダーしたステーショナリーを選んでいたことを知っていたので、心の底から感激しました」
自分の人生を大きく変えてくれた人との出会い。スマイソンへと導かれたのと同じように、モノの見方や価値観、多くを尾崎さんから学んだと話す。
「ですから、普段こうしてブルーのノートを手にするたびに、自分の原点や歩みを振り返り、噛み締めるんです。どんなインクも滲まず、裏映りもしない。そして、この思い出深いブルーがやっぱり好きなんですよね。なくてはならない、自分の暮らしを支えてくれる道具というのかな。そうしたものを身の回りに置き、使い続けるという生き方。たとえば日常の手帳でも、一冊書き終えたら、それは自分の本になる。そこにはありのままの自分がいて、それをきちんと受け止めることが、自分を愛するということにつながる。僕はたくさんのすてきな大人たちから、そう教わりました。自分の手で書き記し、残されていく記憶。それは、自分が生きてきた証ですから」
「ですから、普段こうしてブルーのノートを手にするたびに、自分の原点や歩みを振り返り、噛み締めるんです。どんなインクも滲まず、裏映りもしない。そして、この思い出深いブルーがやっぱり好きなんですよね。なくてはならない、自分の暮らしを支えてくれる道具というのかな。そうしたものを身の回りに置き、使い続けるという生き方。たとえば日常の手帳でも、一冊書き終えたら、それは自分の本になる。そこにはありのままの自分がいて、それをきちんと受け止めることが、自分を愛するということにつながる。僕はたくさんのすてきな大人たちから、そう教わりました。自分の手で書き記し、残されていく記憶。それは、自分が生きてきた証ですから」
Yataro Matsuura|東京生まれ。10代で単身渡米。1995年に予約制書店を開業。2002年に東京・中目黒に「COW BOOKS」をオープン。2006年から9年間、『暮しの手帖』の編集長を務め、2015年にIT業界に転身。『DEAN & DELUCAマガジン』編集長など、衣食住に渡って、多くの企業のアドバイザーとして活躍。現在も執筆、ラジオ出演、講演など多方面にて活躍。著書を多数刊行する。
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